札幌家庭裁判所 昭和45年(家)718号 審判 1971年2月27日
申立人 Z舟橋よし(仮名)
主文
申立人の戸籍のうち別紙目録記載の各部分を同目録記載のとおり訂正することを許可する。
理由
一 申立の趣旨および実情
別紙「申立の趣旨」、「事件の実情」各記載のとおりである。
二 認められる事実
本件記録中の各除籍謄本、改製原戸籍謄本、戸籍謄本、長沢正治作成の申述書、調査官中島高子の、秋田信助、舟橋さちこ、舟橋文明、長沢正治および申立人に対する調査結果ならびに申立人審問の結果を総合すると、
1 申立人は大正三年三月一二日札幌郡○○村大字○○村○○番地において母秋田いねの嫡出でない子として出生し、同月一四日母からその出生届出があり、本籍北海道札幌郡○○町大字○○町字○○町○○○○番地戸主秋田いねの私生子女として入籍の記載がされた。
2 申立人の事実上の父は本籍松本市大字○○△△△番○号番地戸主長沢正治本人と目され、同人と秋田いねとの間にはすでに秋田信助、秋田峯子が出生していたが、いずれも母いねの私生子として入籍していた。
母いねは大正七年六月二七日チフスにより隔離病舎で死亡したため、秋田峯子は長野県松本市の長沢正治の実家に、秋田信助は母の親族である宮下某にそれぞれ預けられ、申立人は舟橋幸司の養子となることを前提に、当時長沢正治の開こん地に入植していた同人の許に引き取られた。
3 しかし舟橋幸司およびその妻さちこと申立人との間の養子縁組の届出はなされず、かえつて舟橋幸司夫妻と河合市郎との間で昭和三年四月五日養子縁組がなされ、養子となつた舟橋市郎と申立人とがやがて内縁の夫婦となつた。
やがて申立人は長女光子を懐胎したので、舟橋市郎と申立人とは同年五月一〇日婚姻の届出をしたが、婚姻届を出すことに話が決つたころ、舟橋幸司は申立人や周囲の者に向つて、申立人が戸籍上私生子のまま放置されているのが心残りであると語つていた。そして昭和五年四月九日すなわち申立人の婚姻届の直前になつて舟橋幸司は一存で申立人を認知する旨を届け出て、申立人を自分の戸籍に庶子として入籍させた。
その結果、申立人と舟橋市郎との間の婚姻は同一戸籍内での身分変動にとどまつた。
4 しかし、舟橋幸司は申立人を養子とする心算で長沢正治から引き取つたものであり、舟橋幸司と申立人の母いねとの間に同居、同棲の事実はもとより、格別の交際もなく、舟橋幸司と申立人との間に、生理的な父子関係が存在する余地がないことは明白であるにもかかわらず、舟橋幸司が突然認知の届出をしたことについては申立人を始めとして周囲の者は、舟橋幸司の前示のような言動および経緯からみて、申立人を養子とする約束でありながら養子縁組の機会を失し、私生子のまま婚姻をさせるかどうかという問題に直面し、舟橋幸司が自責と憐愍の情に駆られたものと推測していた。このような事情から、本件認知にもかかわらず、舟橋幸司と申立人との間には父子関係が存在しないことは関係者の間では疑う余地のない明白な事実であつたので、舟橋幸司が昭和三四年五月三日死亡し、相続が開始した時も申立人だけは相続を辞退する旨を申し出て、相続問題に関与しなかつた。
との事実を認めることができる。
三 本件認知の効力
舟橋幸司と申立人との間に生理的な父子関係が成立する余地はなく、このことは関係者周知の事実であつたことはすでに認定のとおりであり、しかも、上記認定の事実からすればこのことは認知者である舟橋幸司自身も熟知していたものと推認される。このような事実に反する認知は、認知無効の裁判をまたないで、何人もいつでも反対の事実を主張できるとの意味で当然無効と解すべきものと考える。認知者自身が事実に反することを知りながらもつぱら戸籍の表示における便益のみを図つてなしたにすぎない認知は、いわば仮装認知であつて、認知の性質をもつて生理的な父子関係の存在という事実の承認と解するときはもちろんのこと、認知をもつて父子関係を創設する一種の形成的権能とみるにしてもそれは父と子という生物学的なつながりの存在という客観的事実に基づいて生じるものであるから、このような客観的事実が外形的にも存在せず、認知者自身その権能がないことを認識しているところに、認知本来の効力を肯定することはとうていできない筋合である。
なるほど身分関係の画一的確定という理想からすれば、事実に反する認知といえども認知無効の裁判を経ないかぎり、何人も認知者と被認知者との間の父子関係の不存在を主張できないとすることが望ましいことには違いないけれども、身分行為の効力を律するものは、画一的確定の要請に尽きるものではない。任意認知と同じように戸籍上の届出を成立要件とする婚姻、縁組、協議離婚、協議離縁にしても、その実質的意思を欠くときはたとえ当事者による届出があつても当然無効と解される場合がある以上、民法は身分行為の無効を常に形成無効と定める政策を採るものとは言えない。実質的にみても自然血族としての父子関係は、夫婦、養親子関係のように当事者の意思によつて解消することのできない永遠のきずなであり、相互に扶養の義務が伴うことをも考えれば、認知は子の感情の点は別にしても、法的にも利益(権利)不利益(義務)を当事者にもたらす法律要件であることは明らかであるから認知無効のみを婚姻等の無効と異別に扱わなければならない合理的な根拠はない。むしろ、任意認知を形成権の行使になぞらえることには問題があるとしても、生理的父子関係の存在という形成要件の備わらない者の一方的意思表示(届出)によつて父子関係が一応形成されるとすれば(形成無効の立場では認知無効の裁判を経るまではそうなる)、形成要件のないところに形成権を認めるのと結果的に近似するものがあり、財産取引法以上に真実性を尊重しようとする身分法の理念からは隔るところが大きい。認知は本来一身専属的な性質の権能であるのに、無効の裁判確定までという一時的なものにもせよ、結果としてはこれを不特定多数の男性に帰属させることを肯定するに近い。要件の備わらない認知は、後日認知無効の裁判によつて覆えすことができるとしても、被認知者その他の利害関係者が認知無効の裁判手続を強いられることによつて蒙る負担は黙認できないものがある。このことは認知者が死亡し、調停手続が事実上閉ざされている本件において申立人が人事訴訟手続によつた場合(申立人はその法的可能性がないように主張するが、親子関係不存在確認訴訟におけると同様に検察官を被告として提起できるものと解される)の費用と時間とを考えれば容易にうなずける。
このように考えてくると、少くとも、認知者自身が事実に反することを認識しながらなした、いわば仮装認知ともいうべき認知は当然無効であり、認知無効の裁判をまたないでも、何人も、いつでも認知者と被認知者との間の父子関係の不存在を主張できるものと解するのが正当である。この限りでは真実ないし真意に基づく身分関係の尊重という要請が画一的確定に優越するものと言わなければならない。
四 認知無効等の裁判の要否
認知が当然無効であるときは、認知無効ないし父子関係不存在確認の裁判を経ないで、つまり戸籍法一一六条の訂正手続によらないでも、同法一一三条もしくは一一四条によつて認知に関連する戸籍の記載を訂正できるものと解すべきである。認知が当然無効であるかぎり、何人も先決問題としてこれを主張できる筋合であり、ひとり戸籍訂正手続のみが例外となるものではない。
戸籍法一一六条は身分行為の効力について定めた実体的規定でないのは勿論のこと、当然無効の身分行為に起因、関連する戸籍訂正手続について必ず無効確認等の裁判を要する旨を定めた手続的規定とも解すべきでない。 同条は確定した裁判によつて戸籍訂正をする場合は一一三条、一一四条のような家庭裁判所の許可を要しない旨を定めたにとどまり、進んで嫡出否認のように実体法上当然に確定裁判によらなければ何人も主張できない身分関係の変動に伴う戸籍訂正の場合は別として、いわゆる親族法上重要な影響を及ぼすか否かによつて戸籍訂正手続を二分する趣旨に出たものと解しなければならない文理上の根拠はどこにもない。戸籍法一一六条をもつて、戸籍訂正のうち親族法上重要な影響を及ぼすべきものは慎重を期するために訂正の基本となる身分関係について確定判決を要する旨を定めたものと解する立場があるけれども、当然無効と形成無効とを分つ基準としてならばともかく、実体的に当然無効である身分行為ないし身分関係についての戸籍訂正手続になお当然無効を明示した確定判決がなければならないとすることは、けつきよく画一的確定に固執するのと異なるところがなく、画一的確定の理念が後退して始めて当然無効が認められるものであることと相容れないところがあるのは否定できない。戸籍法一一六条の裁判には人事訴訟法一八条が適用、準用、類推されるものがほとんどであり、対世的効力の点で戸籍法一一三条、一一四条の審判とは趣を異にするけれども、後二者の審判が非訟事件手続であるとしても訂正の基本となる身分行為の効力を判断できることは勿論であり、身分行為の当然無効に基因する戸籍訂正であるかぎり判決の既判力ないし対世的効力に依拠しなければならない論理必然性はない。そして戸籍法も親族法上重要な影響を及ぼすか否かで必ずしも手続を二分しているものでないことは、就籍手続に関する同法一一〇条と一一一条の関係をみれば明らかである。就籍も戸籍訂正に劣らず身分法上重要な影響を及ぼす場合があることは言うまでもないところ、一一〇条は就籍の許否を一般的に家庭裁判所の許可にかからしめ、一一一条の「確定判決によつて就籍の届出をすべき場合」に前条を準用するとの定めは、真実に反する本籍があり、確定判決でこれが消除される場合を予定したものであつて、一一〇条による就籍者の父母の氏名およびそれとの続柄は必ずしも一一一条によつて身分関係を確定する裁判を経なければ就籍手続で表示できないものではない。そして、一一六条の確定判決によつて戸籍を訂正すべきときはという「すべき」の用語に一一三条、一一四条による訂正を禁止する格別の意味が含まれているものでもないことは、上述の一一一条の用法と対照すればおのずから明らかである。
戸籍実務上も、通常なら確定判決によらなければ戸籍訂正を許すべきでない場合であるとしながら、当事者の死亡により確定判決を得る方法がないと認められる場合は便宜戸籍法一一三条による訂正も許されるとする先例が生まれたのも、帰するところ確定判決によらなければ戸籍訂正ができないとする所論の不合理を示すものであつて、戸籍法一一六条と一一三条、一一四条の適用限界が当事者の死亡、行方不明などの事由によつて移動するということは理論上あり得ないはずである。
最後に、いわゆる慎重さの点であるが、戸籍法一一六条にいう確定判決には家事審判法二三条の審判も含まれるものと解されるところ、同審判も戸籍法一一三条、一一四条の審判も共に非訟事件手続によつてなされる裁判であり、手続も証明の程度も全く同一であり、質的な差異は認められない。また人事訴訟手続と比較してみても、家事審判手続では独自の調査機能を駆使することができ、真実の探知という点で当事者対立構造を採る判決手続に劣後するとは考えられない。(この意味で、区裁判所の許可にかかつていた旧戸籍法一六四条、一六五条と現行一一三条、一一四条とは質的な差異があると言つても過言でない。)むしろ、一般人の利用がより容異である家事審判手続によつて直ちに戸籍訂正を許すことが真実の身分関係を公証しようとする戸籍制度の目的をより良く実現する途と言うことができる。
このようなわけで、当裁判所は認知の当然無効を前提とする本件戸籍訂正には戸籍法一一六条の適用はないものと考える。
五 結論
以上判断したとおり、本件認知は当然無効であり、申立人の戸籍(除籍を含む)の記載のうちこれに関する部分はすべて消除されなければならないし認知無効に関連して舟橋市郎と婚姻の際の申立人の氏は「秋田」に訂正されなければならない。よつて、申立人の別紙目録表示の戸籍の訂正を許可し、なお関連戸籍として申立外舟橋市郎の戸籍についても本件認知無効に関連する限度で記載の訂正を許可することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 山本和敏)
目録
1 (現戸籍) 北海道○○市○○△△△番地
筆頭者舟橋市郎
妻よし
の戸籍のうち下記の記載の消除
(一) 身分事項欄 「父舟橋幸司認知届出昭和五年四月九日○○町長受付同月二〇日送付札幌郡○○町大字○○字町○○町○○○番地秋田信助戸籍より入籍」
(二) 父の欄「舟橋幸司」
2 (原戸籍) 北海道○○○市字○○△△△番地
戸主舟橋幸司
婦よし
の戸籍のうち下記の記載の消除
(一) 身分事項欄 「北海道札幌郡○○町大字○○町字○○町○○○○番地戸主秋田信助妹亡母いね私生子女父舟橋幸司認知届出昭和五年四月九日○○町長甲野太郎受付同月一五日受付入籍」
(二) 父の欄「舟橋幸司」
(三) 続柄の欄「庶子」
3 (除籍) 北海道札幌市○○○○△丁目○番地
戸主舟橋幸司
庶子女よし
の戸籍のうち下記の記載の消除
(一) 身分事項欄 「北海道札幌郡○○町大字○○町字○○町○○○○番地戸主秋田信助妹亡母いね私生子父舟橋幸司認知届出昭和五年四月九日○○町長甲野太郎受付同月一五日受付入籍」
(二) 父の欄「舟橋幸司」
(三) 続柄の欄「庶子」
4 (除籍) 岩手県江刺郡○○村字○○○○○△△△番地
戸主舟橋幸司
庶子女よし
の戸籍のうち下記の記載の消除
(一) 身分事項欄「 北海道札幌郡○○町字○○△△△△番地戸主秋田信助妹亡母いね私生子父舟橋幸司認知届出昭和五年四月九日○○町長甲野太郎受付同月一五日送付入籍」
(二) 父の欄 「舟橋幸司」
(三) 続柄 「庶子」
5 (除籍) 北海道江別市字○○△△△番地
戸主秋田信助
妹よし
の戸籍のうち下記の記載の消除
身分事項欄 「父岩手県江刺郡○○村字○○○○○△△△番地舟橋幸司認知届出昭和五年四月九日受付四月三〇日入籍通知に因り除籍」
6 (関連戸籍)北海道江別市字○○△△△番地
筆頭者舟橋市郎
筆頭者本人
の戸籍のうち身分事項欄の婚姻の相手方「舟橋よし」を「秋田よし」と訂正